コエダメ
ただの腐女子のブログ。

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  ぼくのとらうま
trum








【長文サーセン】

トラウマがあります。
この前の金曜日に開放という授業を受けてやっとトラウマだということが認識されました。
ちょっとすっきりした気がするので。
書いてみます。

中学生の頃私はソフトテニス部に入っていました。
顧問の小森谷先生は一年生のときから「へたくそ」「ばかやろう」「やめちまえ」というような罵声を部活中に部員に毎日毎日毎日毎日浴びせかける人でした。

開放の授業中に「いじめにあっていたことがある?」と聞かれました。
「いじめ」という定義を同じクラス内で起こるものだと思っていたので気づかなかったのですが、考えてみると1年365日中360日くらいを毎日罵声を受けて過ごしていた私の中学3年生の初期までの期間は確かにいじめを受けていたのだと思います。
いじめを受けて毎日悪口を言われて過ごした人は本当に自分が下らなくて汚いもののように感じるという話を聞きますが、私もそういう状況でした。
試合で上手くいかなくても、ペアの人と上手くいかなくても、先生に罵声を浴びせられることさえ自分が悪いと思っていて、当時母に「あなたは悪くない」といわれても「私が悪い、私が悪い」と泣きながら一切聞き入れないことがあったのを覚えています。

そんなこんなで結構な躁鬱状態で、学校で友人といるときはすごくテンションが高い自分と、家に帰り1人になるとものすごく自己嫌悪のひどい自分がいて、毎日2人の自分との狭間で殺されそうになるという生活が中2の後半くらいからあったと思います。

時系列がバラつきますが、私が二年生に上がった頃、当然のごとく一年生が入部してきました。
その時、最初に見たときから鳥肌がたち、どうしても気持ち悪くて近づけない女の子がいたのです。
同学年の友人たちはその子のことを「すごくかわいい」と絶賛していたのですが、私はどうしても怖くて怖くて仕方が無かったのです。
名前も忘れてしまったので仮にAさんとします。

Aさんとはほとんど接しなくても部活はできましたし、Aさんの学年のイケメンのことを好きになったりしました。
顧問の罵声が止むことは無かったし、試合のペアを気分で変える人で苦手な人と組まされてまた鬱がひどくなったりしてたのですが、二年生は割と平穏に過ぎていきました。

しかし3年生になった6月頃、突然小森谷先生から「お前たちが何をしているのか俺は知っている」というようなことを言われ、3年生全員が強制的にラケットを持たずに筋トレだけをしているように言われました。

後から状況を整理するとことの経緯はこういうことです。

Aさんと仲良しのBさんがいました。
2人はほとんど会話をしない私から見ても仲良しなんだという認識がありました。
ところがAさんはBさんに対して何かしら気に食わないことがあったようです。
そこでAさんやBさんに言いました「先輩達があなたの悪口を言っているよ」
Bさんは思い悩みました。
Bさんは思い悩んだ末に最も悪い人に相談をしてしまいました。
顧問の小森谷先生です。
Bさんはかわいいです。
小森谷先生はかわいい女の子に目が無いただのバカです。
小森谷先生は事実確認もしないままにBさんの話を丸ごと信じました。

そんな途中経過を全く知らない事実無根の状態で私達3年生はわけも分からずテニス部から阻害されました。
なぜかと聞いても「全部わかっている」の一点張りで理由もわかりません。
理不尽な状況に思い切って全員でボイコットをしましたが状況が悪化するばかりでした。
当時副顧問がいましたが状況を聞いてもこちらの意思を伝えても全く使えない壊れた無線のような人でした。
学年の話しやすい女性教師に相談しても、一応設置してあった「相談室」というところで相談しても、学年主任である小森谷先生がどれだけ偉かったのかも知りませんが全く状況は動きませんでした。

母に当時のことを話すと「教育委員会に相談しようか」と言ったことがあったそうですが私が「そこまでしなくていい」と言ったそうです。
全く覚えてないけれど。
当時の私にはまだ自分達が何か悪いのだ、という意識もあったのだと思います。

とにかくそんな状況で10人ちょっといた部員も1人また1人と部活に顔を出さなくなっていきました。

もう本当にグズグズになってしまった頃。
それでもまだ話せば伝わるのではないか、元通りただ平穏に部活ができるのではないのかという希望を持ち、部長、副部長の私、部員1名の3人で部活中のコートに入り顧問と話をしました。
「部活がやりたい」と「テニスがやりたい」と長時間、必死に涙を流しながら訴えました。
しかし小森谷先生の言葉はこうでした。

「もうここにお前達の居場所は無いよ」

使い古された表現ではありますが、足元が崩れていくような感覚がありました。
1年生から約2年半いた場所です。
小学生のころからソフトテニスをしていた私はそれなりに実力もあり、戦力としても必要とされているはずでした。
好きな男の子に会えるのも部活の時間がとても重要でした。
行きたくないと思いながらも罵声を浴びせられながらも、毎日通った「必要とされる場所」でした。

なんでだかわからないけれど小森谷先生も涙を流して「俺だってつらい」とか何とか言っていた気がしますが意味は全く分からないし「じゃあやらせればいいだろ!」という。

まだ中学生で大人は正しいんだという思いがあったとか、弱い立場だとかなんだか色々ありますが、それで引いてしまってからどうやら私の中にトラウマができたようです。

面接などで目上の男性と話していると激しく緊張して声が震えて涙が溢れてくる癖ができました。(ただのあがり症だと思っていました。)
そういう状況でなくても、人と目を合わせるのが怖くて、合わせているフリをしながらいつ存在を否定されるのかと怯えながらすごしていました。
世界中の人は胸の内では私に消えてほしいと思っているのだと信じていました。
いつ投げ捨てられても大丈夫なように、ずっとずっと防御壁の奥から世界を覗いて、平静を装っているうちに防御壁があったことも忘れました。
私のことを大切にしてくれる友人もいたのに、「本当は私のことなんか嫌いなんだ、本当はお情けでつきあってくれているだけなんだ」という思いが捨てきれなくて、人を信じられない自分が嫌で仕方ありませんでした。



そんなこんなが私のトラウマです。

先日の開放の授業では、みんなの前で自己紹介をするという予定だったのですが、何の話をすればいいのかと思っていたところ、先生から「いじめ受けていたことある?」「人こわい?」などの質問をされ、高校のころ1時期悪口を言われていたことがあるということから話し出し、この話をしました。

やっぱり癖が出て緊張しながら泣き出して話す私に、先生は「俺をそいつだと思って言いたいこと言えよ!」と言い、私は言えなかった思いをやっとすこし吐き出すことができました。
その直後、先生の目を見るのにひっかかりが無いことに気づき、自分が人の目を見ることをずっと怖がって緊張していたことに気が付きました。

今でもこの話を誰かにする度に勝手に涙が流れます。
今も1人で打ち明けるくらいなら大丈夫なんじゃないかと期待していましたがやっぱり涙が出てきてしまいました。

トラウマという病気について私自身よく知らなくて、人によって違うものだろうし、どうやったら完治するのか分かりません。
10年間抱えいたものの正体が分かっただけでも進歩だと思うし、ここに書けたということがまた少しの進歩になればいいと思っています。

「嫌なことは嫌って言って良いし、人の悪口だって言っていいんだ」と言われました。

これから私の性格が悪くなったらごめんなさい。
言い過ぎることがあったら「それは言い過ぎ」って言ってくれる友人がいる、ありがたい環境にいると思っているので、もしものときは注意してください笑


めちゃくちゃ意固地な私の10年間と付き合ってくれた家族と友人に感謝をしつつ。


かしこ。

【2011/10/03 13:46】 | 日記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) |
 



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